小松屋のあゆみ

舟宿小松屋は昭和二年、現在の柳橋にうつり、戦前・戦後を通じて大川(隅田川の旧名)や東京港付近の海、また遠くは千葉の沖合までも舟を漕ぎ出し、釣りや投網、屋形舟などでお客様に楽しんでいただいて参りました。

現在四代目になります。 関東大震災の後、昭和二年に「柳橋」の橋が架け替えられ、昭和五年に二代目小松屋が屋根の取り外しのできる「屋根舟」を造りました。

屋根舟の四隅に小さな高張提灯を掛けて、柳ばしの半玉さんや芸者衆を乗せて栄えたものです。昭和22年には、戦後初めての屋根舟を造り、春は汐干舟、夏はあみ舟に涼み舟などとお客様を楽しませながら、隅田川をのぼりくだり……。

舟宿小松屋の歴史01

翌昭和23年8月には両国の川開きの再開、昭和29年9月10日には龍灯祭も復活し、とても華やいだ時期でした。

時を経て昭和30年、40年代の高度経済成長期。隅田川の汚れが目立ち始めると共にお客様の足も遠のき、花火も灯篭流しもなくなり、それ以来隅田川に屋形舟の姿を見ることはなくなりました。

やがて、昭和51年10月。三代目小松屋が隅田川で鰡(ボラ)の跳ねる姿を見て川が甦ったことを知り、柳ばしの料亭の女将さんからも「大川もきれいになったし、また舟遊びしたいわねぇ」との話もいただき、屋形舟の復活を決意いたしました。

昭和52年6月17日、隅田川をお守りくださる〈水神様〉への感謝の意を込めて、江戸中期からの伝統をそのまま復元した情緒豊かな「屋形舟」を復活させることができました。これより数年に渡り隅田川に浮かぶ屋形舟はただ一隻だけでした。「両国の川開き」も17年ぶりに「隅田川花火大会」と名を代え、隅田川にも少しずつ活気が戻って参りました。

舟宿小松屋の歴史02

昭和55年3月26日。 おそらく日本で最後になるであろうと言われた木造の屋形船を進水させました。その後、今にいたるも隅田川では木造の屋形船は建造されておりません

昭和56年3月、屋形船としては日本最初の不定期航路事業者として運輸省(現在は国土交通省)より認可されました(関東運輸局許可番号関東不第138号)。

そして現在、水辺に関する関心が高まり、川や港が整備され見違えるほどきれいになりました。神田川に魚も水鳥も戻ってきました。 隅田川やお台場に驚くほどたくさんの船や屋形舟も行き交うようになりました。

江戸の昔より、人々の生活に遊びに欠かせなかった隅田川も甦ったのでしょうか。 川面から眺める景色や建物はかたちを変えても、舟遊びや川でやすらぎ親しむ人のこころは変わることはないでしょう。

春には向島墨堤の桜吹雪を愛でながらのお花見。夏の花火や東京港の夜景を楽しむ涼み舟秋のお月見、はぜ釣りと冬の雪見等々……四季を通して川面を吹きぬける風に身をゆだね、うつり行く時の流れを満喫なさるのも一興かと存じます。

舟宿小松屋の歴史03

大川(隅田川)と共に歩んでまいりました舟宿小松屋は、この川を守り、お客様に楽しんでいただくこと。これを大事にしていきたいと存じます。

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